成田緑夢 障害者になった原因と足切断を拒んだ親の心境とは?

こんちゃ^-^b 舞ちんです♪

 

男子の下肢障害である平昌パラリンピック日本代表の

成田緑夢が優勝したのはご存知ですよね?

 

彼が過去になりますが練習中に左足に大きな怪我を

してしまい障害者になった理由を知らない人も

多いかと思います。

 

彼が障害者となった理由と足を切断しなかった親の心境と

パラリンピックに出場した時の気持ちを今回書いていこうと

思いますので興味がありましたら最後まで読んで下さいね。

 

 

 

 

成田緑夢さんのプロフィール

 

名前:成田緑夢(なりた ぐりむ)

生年月日:1994年2月1日(24歳)

血液型:AB型

出身地:大阪府大阪市住之江区

所属:近畿医療専門学校

彼のお兄さんも同じ元スノーボード選手として

有名だった成田童夢(なりた どうむ)さんで

現在マルチタレントとして頑張っております。

 

そしてお姉さんの今井メロ(いまい めろ)さんも

元スノーボード選手ということで成田家は

全員がスポーツ万能だというのが分かります。

 

父親である成田隆史さんの素晴らしい教育が

結果実ったのだと思いますが、今回息子が

大怪我をするとは思ってなかったでしょうね。

 

 

成田緑夢さんが障害者になった原因とは?

 

世界ジュニア大会の1カ月後に普段通りのように

自宅でトランポリンで彼は練習をしていました。

 

両足首にスキーの板の重さに似せた約2.5キロずつの

重りを付けて2回転宙返りで5メートル飛ぶ

ジャンプの練習を毎日に300回繰り返していたそうですが

彼はこの時に不慮な事故にあったそうです。

 

飛んだ瞬間に左足が滑ったらしく体勢が崩れても

背中から落ちれば大丈夫と判断したらしいですが、

その時には重りの付いた左足が体の回転について

こない状態だったそうです。

 

前かがみの姿勢で落下して左肩が左ひざに

強打した瞬間にバキッという大きな音とともに

ひざが逆に曲がったそうです。

 

すぐに病院に連れていった結果、前十字靱帯と

後十字靱帯の断裂に半月板が割れている状態で

動脈も破けて内出血が広がっていたらしいです。

 

医師からは『歩けるようになるとしたら可能性は

20%しかありません』

『最悪のケースとしては左足の切断の可能性もあります』

両親に言われたそうです。

 

 

 

 

成田緑夢さんの左足切断を拒否した親の心境?

 

 

病院のベッドでずっと寝たきりの状態で絶えず

激痛に襲われたまま身動きが出来ない状態で

両親からは『直接的な症状を息子には教えないで欲しいと』

医師にお願いしたらしいです。

 

確かにオリンピックを目指していた息子に

現実を突き詰めてしまったら今まで頑張っていた

苦労が水の泡になってしまうと判断したのでしょうね。

 

「脱臼場所が悪く、治るまでに少し時間が掛かるだけ」と

親は彼に言い聞かせていたらしいです。

 

入院生活は半年程掛かり手術は4度した結果足の切断の選択を

迫られましたが両親は『5体満足ではないが足は切らないでくれ』

父親が医師にお願いをしたらしいです。

 

しかし代償として腓骨(ひこつ)の神経麻痺と

左膝から下の感覚を失う障害が残ったそうです。

 

足の切断をした方が障害が残りにくいと医師の判断を

拒否してまでも息子の五体満足ある姿を見たかったの

ではないでしょうか?

 

私も子供が居ますが実際に切断をさせるか?と質問されても

素直にYESとは言えないですよね?

絶対に後から辛い思いをするのは本人なのですから。

 

成田緑夢さんが障害者としてパラリンピックに出場

 

 

『みんな本当に障害者なのか?』彼が率直に思ったそうです。

左足の痛みは消えない状態で、感覚的には棒が刺さっている感じ

だったそうです。

 

それでも障害者になった彼は陸上の走り高跳びで

リオデジャネイロ・パラリンピックで活躍出来るか頑張りました。

 

残念ながらリオでは成績不足で間に合わなかったので

昨年11月から本格的にスノーボードに転向したそうです。

 

初出場のワールドカップでは4位の入りましたが

上位とは大きな開きがありました。

 

先程申し上げた『みんな本当に障害があるのか』

彼は障害と頑張っている他の人達との競技レベルの高さに

ついに本気になりました。

 

さすがに彼が障害者となって落ち込んでいる時に

同じ境遇に居る障害者でもやれば出来るんだなと

思ったらヤル気が上がるますよね?

どのスポーツでもプライドを持ってやっているわけですから。

 

昔の感覚で滑れば左足が言う事を利かないので

転んでしまうので義足や同じような障害を持っている

選手にコツを聞いてゲレンデで上手になる練習を

繰り返しました。

 

ターンの時に踏ん張りが効かない左足をカバーする

ために、右手を大きく前に出したりして、左手でウェアの

パンツを掴んだり色々な工夫をしてバランスをとり、

コツを掴んでいったそうです。

 

その練習方法が実った結果、去年の1月の北米選手権と2回の

ワールドカップで3連勝して2月には世界選手権でも3位に

入って自信を取り戻していったそうです。

 

彼は言ったそうです。『五輪もパラリンピックも関係ない。

僕の中では同じスポーツだと思う。怪我をしてでも僕がスポーツを

することで誰かの励みになれることを信じたから、パラリンピックに

出場して、同じ境遇にいる人への夢や希望を与えられる選手になりたい』

と話したそうです。

 

まとめ

今回は平昌でパラリンピック2連覇をした成田緑夢の過去にあった

不慮の事故で障害者となり足の切断を拒否した親の気持ちを書いた

記事になりましたが如何だったでしょうか?

 

5体満足いく状態でもなくても同じ心境な子供達に勇気と希望を

与えてくれた彼には賞賛の気持ちしかないと感じました。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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